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笑って死にたいなぁ

今朝未明、母が亡くなりました。
進行性核上性麻痺という難病を患っており、
この病気により嚥下障害(えんげしょうがい 飲み込みができなくなる)を発症し、飲食不能になり脱水症状で亡くなりました。
享年71歳、体重は25kgほどになっていました。
病名が付いてから4年3ヶ月でした。

続き
この病気は嚥下障害だけでなく、
運動機能が制限されていくため、全身を自分の意思では動かす事が出来なくなってゆきました。
また、言葉を発する事ができずらくなるため、自分の言葉を伝える事も難しい。

視覚は若干怪しいですが(視野は狭くなる)、
嗅覚・聴覚や脳は損傷がないため、
本人は周りの人間の話している事や痛み,苦しみは感じる事が出来ます。

嚥下できず、身体を動かす事も出来ないため、
食欲がなくなり、食が細くなり、食事が取れなくなりました。
その後、水分摂取が出来なくなり、一時点滴をしました。

体力がなくなるにつれ、心臓に負担がかかるという理由で
点滴も出来なくなりました。
熱で浮かされる子どものようにぜいぜいしながら苦し気でした。

口腔ケア用のスポンジに水を少し含ませて舌に乗せたり、
みかんの汁を同じように含ませて舌に乗せたり、
施設の方が最期の日の食事をいつものように用意してくれたので、
その水分と香りをスプーンの裏にこすりつけて舌に乗せたりしました。

乾燥によってかまぶたが閉じなくなり丸2日くらいほぼ瞬きをしない状態でした。天然水等で無理矢理潤わせてみたりしました。
顔をホットタオルやアベンヌウォーターでスプレーしたりして
少しでも水分を感じられるようにしました。

4日の晩が山だと言われましたが、もう1日頑張ってくれました。
ヒトが生きようとする力は凄いと思いました。

最期の時には兄弟三人揃って母を見送る事が出来ました。
一生懸命私たちの呼びかけに応える合図をして、
一生懸命言葉を発しようと頑張っていました。
お母さんはやっぱりお母さんなんだと
いろんな家族がいるから一概にどうこうではないですが、
我が家の母は子どもたちを心配する親なんだと感じました。

ドラマのような雰囲気ではなく、
やっぱりそんなときでも笑っちゃうような事もあり、
笑ったり泣いたり,泣いたり笑ったりしながらお別れしました。

施設の方も4日からは度々いろいろな方が顔を見せに来てくれました。
たくさんの方にお世話になりました。

hiroさんも、私が骨折している事もあり、
いつも以上にサポートしてくれました。ありがとう。

脱水は苦しくて辛そうだったけど、
子供たちが笑ったりしているところを見せたり、
聞かせたりできたので私はいい最期だったと思ってる。

これから葬儀や納骨など一通り終わらないと
振り返っている場合では無いのかもしれないけど。

お母さん、
お父さんと手を繋いで愉しく過ごしてください。
またいつか。