仙台の営業マンから個人的な支援依頼が届いた。
自分の子供が通っている小学校は被災状況は酷くないが、
同じ市内の小学校がほぼ全壊であり、その周辺の子供たちも身一つで避難所にいる子が少なくない。
その子供たちに文具や(おさがりの)ランドセルを提供してもらえないか?という内容だった。
私は身の回りの人に声をかけるくらいしかできないけど、
少しでも役に立てそうな実感が目の前にある。
メールの一部抜粋。
『現実には今も行方不明の家族を探して宛もなくさ迷う人々や家を流され途方にくれる人々などが、本当に生きていただけで良かったと自分を偽りだましながら強く生きています。本心はやはり家族を全て亡くしたら自分も死にたいだろうし、家が流されたら将来を悲観し死にたいだろうし。一度に家族を五人亡くした友人が自殺しないようにするのは大変でした。
今、被災地では、軽度被災者が重度被災者を支援する体制になっています。
ボランティアや今回のようにあるけど使わない物を必要な人に提供したりです。
私自身幸いな事に、HARAKさんや会社の皆さんが居てくれますので、物資も集まりますが、私財を擲ってボランティアや提供をしている人々を見ると涙が出ます。
私自身は何も出来ないですが、被災したからと言って子どもが勉強も出来ない国であってはならないと思い、また、同じ地域(同じ**市)の子どもの親として地域の子どもを育てる義務があると思い、このようなお願いをさせていただきました。
今回の物資、そのような理由で心から感謝しております。
何らかのお礼、お返しをしたいですが今は感謝することしかできません。
本当に皆様にもよろしくお伝えください。
あ、お花見は盛大に、できれば宮城県、岩手県産の日本酒は美味いのが色々ありますので、それらを飲みながら、お願いいたします。』
この震災に対する寄付を個人的にも会社を通じてもした。
でもそれしかできなかった。
こんなメールを預かったら何かせずにはいられないし、
自己満足と思われても、微力でも何かの役に立てれば幸いだと、本当に思っています。