祖母が亡くなった。
これを書いているのは葬儀のあとだけど、
日記は亡くなった日で記しておく。
103歳だった。大往生だ。
祖母はきちんとした人だった。
きっと立派な人生だった。
年齢が年齢なのでハードの話ではなく、ソフトの話だが背筋の伸びた大正生まれのチャーミングレディ(ハイカラさん風になった)。
優しく厳しくユーモアのある誇れる祖母だ。
祖母の生い立ちやいろいろなことは聞けないままだったけど、
多分、後妻でもしかしたら妾で苦労したらしい。
熊本の片田舎に住んで、昔ながらの平屋に五右衛門風呂。
子供たちが独立した後は90歳くらいまでそこに一人で住んでいた。
毎日一行日記をつけていた。
中学生ぐらいまでは何年かに一度、夏休みや正月に遊びに行った。
沢ガニが上がってくるような家だった。
12,3年ほど前私がツーリングで一人で祖母の家に行ったときにもお風呂の支度をしてくれた(もちろん薪をくべたりは私も手伝ったけど)。
母が祖母にhiroさんを会わせることができなかったことが、私にとっても心残りのひとつ。でも、それはそれで仕方ない。
遺影も死に顔も母にそっくりだった。
叔父が会葬お礼の挨拶の中で「母の怒っている顔を見たことがありません」と言っていたけど、そう言えば祖母も母も感情的に怒るというようなことがなかった。
私たちが知らないだけかもしれないけど。
祖母のことを誇りに思うと同時に、叔父の奥様、義理の叔母(長男の嫁)のことも本当に尊敬する。とても心遣いのある人で、それでいておおらかに穏やかに接してくれる。すてきな人。いとこも叔母に似てきていた。
熊本の女性はすてきだ。
もし天国があるなら、父は母が、母は祖母が来てそれはそれで安心した明るい世界なんだろうと思う。
そう思わせてくれる家族に感謝。
また逢う日まで、さようなら。